寒川

函館(はこだて)山の裏側(うらがわ)にあった集落名、地名。語源(ごげん)は、アイヌ語の「シャモ<和人(わじん)>」からきたサムだとするもの、「三本川」がなまったもの、古書にある「サブカワ」「寒風川」からきているなど諸説(しょせつ)ある。

(はじ)めのころは市街地(しがいち)に住む漁師(りょうし)漁業(ぎょぎょう)(いそが)しい時期に、(かり)の宿を()てて寝泊(ねとま)りしていたが、1887(明治(めいじ)20)年ころから富山県(とやまけん)宮崎村(みやざきむら)の人々が住みはじめた。1906(明治(めいじ)39)年には幸小(さいわいしょう)学校の分教場もでき、1935(昭和10)年には64名いたという。

しかしその後転出する人が()え、1943(昭和18)年に分教場が廃止(はいし)され、1954(昭和29)年の洞爺(とうや)丸台風ではこの地区の家がすべて(たお)れるなどし、1957(昭和32)年にとうとう無人(むじん)となった。

箱館(はこだて)戦争(せんそう)のときには、新政府軍(せいふぐん)の一部が寒川(そうがわ)上陸(じょうりく)して函館(はこだて)山を()えて旧幕府(きゅうばくふ)(ぐん)攻撃(こうげき)した。

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最終更新日: 2011年 10月 19日

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