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久慈次郎(くじじろう)

久慈次郎銅像

久慈次郎銅像


1898~1939(明治31~昭和14)年、岩手県出身の野球選手(せんしゅ)
1922年函館(はこだて)太洋倶楽部(くらぶ)に入り、1931(昭和6)年アメリカ大リーグを(まね)いた試合(しあい)の全日本チーム主将(しゅしょう)(えら)ばれ、2年後にベーブルースを(むか)えたときにも主将(しゅしょう)(けん)捕手(ほしゅ)をつとめるなど、社会人野球史(やきゅうし)(のこ)素晴(すば)らしい活躍(かつやく)をした。

しかし、1939(昭和14)年札幌(さっぽろ)円山球場で全道樺太(からふと)実業団(じつぎょうだん)野球大会に出場中、右こめかみにボールが当たって二日後(ふつかご)死亡(しぼう)した。函館市(はこだてし)称名寺(しょうみょうじ)(はか)があるほか、千代台(ちよがだい)公園野球場横に銅像(どうぞう)がある。

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最終更新日: 2011年 10月 19日

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