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信濃助治(しなのすけじ)

天下の号外屋「信濃助治」墓

天下の号外屋「信濃助治」墓


この人物は「天下の号外屋」と自分で名乗り、家具や衣服(いふく)足袋(たび)まですべて赤い色だったので「赤服」と()ばれ当時は函館(はこだて)奇人(きじん)として有名だった。
赤い色は武士道(ぶしどう)基本(きほん)となる「赤心」を表すものと(しん)じていたためだという。

どこから来たのかはわからないが、1894(明治(めいじ)27)年ころ函館(はこだて)に来て日清(にっしん)戦争(せんそう)の時に北海新聞の号外を出した。明治(めいじ)32年には、日清(にっしん)戦争(せんそう)勝利(しょうり)記念(きねん)して各地(かくち)にいる名将軍(めいしょうぐん)に会いに行き、(かれ)らの書をもらって歩いた。
明治(めいじ)39年、同じこころざしを持つ人同士(どうし)で、函館(はこだて)幼稚園(ようちえん)を開いた。

函館(はこだて)山ふもとにある山背(やませ)(とまり)墓地(ぼち)に、白文字で()()()られた(かれ)(はか)がある。

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最終更新日: 2011年 10月 18日

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