高田屋嘉兵衛

高田屋嘉兵衛像

高田屋嘉兵衛像


たかだやかへえ
1769~1827(明和6~文政10)
淡路島(あわじしま)出身で、1796(寛政(かんせい)8)年ころから函館(はこだて)(わた)り、択捉島(えとろふとう)までの航路(こうろ)を開き周辺(しゅうへん)漁場(ぎょじょう)経営(けいえい)した。
また、函館(はこだて)の土地を開拓(かいたく)して米蔵(こめぐら)建築(けんちく)函館(はこだて)山などに植林、港でシジミやハマグリを養殖(ようしょく)、近くの池や(ぬま)にコイ・フナ・ウナギなどを放流、造船(ぞうせん)場の建設(けんせつ)函館市(はこだてし)内中に防火(ぼうか)のため竜吐水(りゅうどすい)(消火用のポンプ)を配置(はいち)するなど、函館(はこだて)に多大な貢献(こうけん)をした。
ゴロウニン事件(じけん)では、とらわれの身となりながらもロシア(がわ)信用(しんよう)()て、その解決(かいけつ)に力を()くした。

1818(文政(ぶんせい)元)年、弟の金兵衛(きんべえ)に事業を(まか)せて淡路島(あわじしま)(もど)ったのち、死去。称名寺(しょうみょうじ)(はか)があり、宝来町(ほうらいちょう)銅像(どうぞう)がある。

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最終更新日: 2011年 10月 21日

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